厄年とは

厄年とは、災難や障りが身に降りかかりやすい年のことです。
数えで男性は25歳・42歳・61歳、女性は19歳・33歳・37歳・61歳が厄年にあたり、その前後を前厄(まえやく)・後厄(あとやく)と言います。この他に、小厄と呼ばれる歳もあります。

 厄年の「ヤク」とは「役目」の「役」の」ことで、共同体の中で重要な役割を担う年齢のことであった。特に神事に関わる役目を担うことから、厳重な物忌みなどが求められたが、次第にもとの意味を失い、身を慎む習慣が残ったという説もあります。

多井畑厄除八幡宮とは

日本最古の厄除けの霊地

多井畑厄除八幡宮は、多井畑の厄神さんの愛称で親しまれています。現在の兵庫県神戸市須磨に配流された在原行平や、一の谷の合戦の際には源義経が祈願したといわれており、日本最古の厄除けの霊地と伝えられている神戸の厄神さんです。    

770年(神護景雲4年)6月に疫病が大流行し、それを鎮めるために五畿内(大和、山城、河内、摂津、和泉)の国境10ヶ所に疫神を祀り、疫祓いが行われました。      

 

 多井畑厄除八幡宮は古山陽道の摂津と播磨国の国境に位置していたため、その一つとして疫神が祀られたと伝えられています。

 毎年1月18日から20日の3日間に渡って厄除祭が行われ、厄年のお祓いや疫病退散、病気平癒の祈願と厄除けに多くの参拝者で賑わいます。

多井畑厄除八幡宮の由来

 称徳天皇神護景雲4年6月勅旨を以って疫神祓いを行わせ給いし遺跡にして、高倉天皇安元年間、この霊地に京都石清水八幡宮を勧請し、爾来世人の崇敬篤く前田出雲守、明石候松平家、領主蒔田家も非常に崇敬せられ、現本殿(杮葺春日造、極彩色)は後村上天皇延文5年(約630年前)の建築にかかり、應永5年拝殿、長亨元年現本殿の覆い(前田出雲守親常寄進)を建築、近年に到るまで境内は拡張され社殿は整備し益々壮厳を加わるに至れり。

 中古以来1月19日の厄除祭日には全国津々浦々より参拝者夥しく、実に我国最古の疫神祭の霊地にして神徳又顕著なるを知るべし。